「死後の世界」を考えるとは、どのようなことか―その宗教的・教育的意味について― 森 一郎

「死後の世界」を語ることは、戦後の学校教育では宗教教育と共に「触れてはいけないもの」として忌避されて来た。しかし、いじめや自殺が話題となる今日においてこそ、語られるべきテーマではないのか、というのが本発表の趣旨である。
「死後の世界」については、人は死んだ後も肉体は朽ちるが魂は残っているとする霊魂不滅説と、魂を問題とするのではなく、現生の生き方・あり方が死後何らかの形で影響を及ぼすという機能説に分けられるが、特に本稿では死後の世界の教育的意味を考えるという観点から、後者について考察する。
「死後の世界」の教育的意味については、2つのポイントが存在する。1つは「悪行の抑止効果」である。つまり、生前に悪いことをすれば死後恐ろしい世界が待っている故、現生での悪行を抑制しようとする考え方である。平安時代に書かれた『日本霊異記』の因果応報話や、『往生要集』の地獄描写によって人々は悪行を慎んだと思われる。いま一つのポイントは「善行または生きがいの促進効果」である。これは前述の逆、つまり生前善い行いをすれば、死後もその善行の影響が残るが故に、善行を行おうとするものである。死生学を説いてきたA.デーケン氏はキューブラ・ロスの『死ぬ瞬間』の五段階説にさらに「期待と希望の段階」を付け加えている。すなわち、デーケン氏のホスピスなどの体験から、死後の生命を信じる人が、最後まで希望に満ちた明るい態度であった点に着目して、死後の世界を信じることの大切さを説いている。
次に「死後の世界」と宗教との関係であるが、宗教では当然「死後の世界」を問題とするが、ここではあくまでも教育的な観点から3つの定義を明らかにしておく。1つは、「宗教とは『死後の世界』を想定することによって現在の生活を律していこうとする態度である」ということである。現在の生活を、単に律していくというだけであれば、道徳や倫理も該当するが、「死後の世界」まで視野に入れて現実の生活を律するのは宗教のみである。2つめは「宗教とは、人間の力を超えた絶対的なものに対する畏敬の念である」ということである。ここでのポイントは畏敬という言葉である。畏敬の「畏れ」とは、かしこまり敬うことであるが、同時に恐れ、畏怖の意味も含んでいる。つまり絶対的なものは敬いの対象であると同時に、恐れの対象でもあるという点である。絶対的な存在(神、仏、天、自然)の理法に反した生き方をすれば、死後恐ろしい世界が待っているということである。宗教についての3つめの定義は「宗教とはある種の『時間感覚』であり、『連続性の感覚』である」ということである。

以上の点を教育の観点から総括していくと、「死後の世界」の存在が、現実の道徳を支えているということであり、「死後の世界」の存在が、死への不安を和らげているという点であり、これらの考え方が教育の世界にも必要ではないか、と思うのである。