身を賭けた行動―三島由紀夫『行動学入門』 京都産業大学 上野剛
はじめに
1970年11月25日、三島由紀夫は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で、「楯の会」のメンバー4人とともに訪問し、総監を人質にとり、自衛官に向けて決起を呼びかける演説をした。しかし、その演説を真剣に聞く者はおらず、三島は演説をわずか7分で切り上げ、割腹自殺をした。三島が訴えたのは「自衛隊の名誉回復」と「日米安保体制からの脱却と自主防衛」の2点である。私は三島のその決死の覚悟で訴えた行動に、もっと耳を傾けるべきであったと思う。そして、作家でありながら、そのような行動をとった三島のその行動力はやはり、ただ「狂った」と一言で片づけるべきではない。その行動力を私たちは見習うべきである。三島の著作『金閣寺』『行動学入門』『文化防衛論』を通して、「行動」ということを考えてみたい。
1.切腹に見る三島の覚悟
私が予備校に通っている時に、ある現代文の講師の授業で三島が取り上げられたことがあった。そして、三島が切腹したと話し、その激痛というのは並大抵のものではないと言っていた。腹を切ればまっすぐに立っていた上半身は、腹筋による支えが絶たれ、たちまち後ろに倒れてしまうことや、人間の腹の肉は意外に硬く、真一文字に切るには相当な力がいることなど、切腹の生々しい描写が講師の口から発せられた。その印象は大学に入った今でも鮮烈に覚えていた。どうして切腹したのか。何を考えていたのか。私は疑問と興味をずっと抱えていた。そして、私は激痛を伴う切腹を実行した三島には、なにかとてつもない覚悟があると確信していた。
2.『金閣寺』に見る「行為者」としての溝口
『金閣寺』の主人公である溝口は、初めて父に連れられて見た金閣は美しく感じなかった。しかし、戦時中であったので、金閣は戦火でやかれるかもしれない。溝口はそんな金閣に親しみを感じ始めた。それは生命のやがて死ぬ儚さを象徴している。終戦により溝口が感じていた金閣との親しみ、やがて死ぬだろうというつながりが絶たれ、絶望を感じる。金閣は「永遠」にそこに存在し、決して相容れない。金閣の「永遠」と人間の儚い限りある「生」。この圧倒的な断絶が溝口を悩ました。金閣の絶対的な「美」は彼の中でますます大きくなっていく。女性との関係に及ぼうとしたとき、金閣がそこに現れ溝口を阻む。溝口は金閣から解放されるために、金閣を焼く決意をする。ここで注目したいのが、金閣の老師が終戦の夜に話した講話「南泉斬猫」である。この禅の公案の内容を以下に抜粋する。「唐代の頃、池州南泉山に普願禅師という名僧があった。山の名に因んで、南泉和尚とよばれている。一山総出で草刈りにでたとき、この閑寂な山寺に一匹の仔猫があらわれた。ものめずらしさに皆追いかけ廻してこれを捕え、さて東西両堂の争いになった。両堂互いにこの仔猫を、自分たちのペットにしようと思って争ったのである。それを見ていた南泉和尚は、忽ち仔猫の首をつかんで、草刈り鎌を擬して、こう言った。「大衆道ひ得ば即ち救ひ得ん。道ひ得ずんば即ち斬却せん」衆の答はなかった。南泉和尚は仔猫を斬って捨てた。日暮れになって、高弟の趙州が帰って来た。南泉和尚は事の次第を述べて、趙州の意見を質した。趙州はたちまち、はいていた履を脱いで、頭の上にのせて、出て行った。南泉和尚は嘆じて言った。「ああ、今日おまえが居てくれたら、猫の児も助かったものを」(1)。難解な公案だが、『金閣寺』にでてくる老師の解釈を抜粋する。「南泉和尚が猫を斬ったのは、自我の迷妄を絶ち、妄念妄想の根源を斬ったのである。非情の実践によって、猫の首を斬り、一切の矛盾、対立、自他の確執を絶ったのである。これを殺人刀とよぶなら、趙州のそれは活人剣である。泥にまみれ、人にさげすまれる履というものを、限りない寛容によって頭上にいただき、菩薩道を実践したのである」(2)。つまり、僧たちが奪い合っていた猫、これは猫として見るのではなく、僧たちの迷いの根源の象徴としてみすべきであり、和尚はこれを断ち切ったのである。そして、注目すべきは趙州が履を頭の上に載せたということである。10月20日にカダフィ大佐が殺害されたとき、兵士らはイスラム世界では最大級の侮辱を表す靴底で大佐を叩いて祝ったそうだが、禅宗でも履で踏まれるというのは一番の屈辱であり、それを頭の上に持ってくるというのは、自分とその他のもの一切との区別をなくしたということである。これはすなわち禅でいう「無」の境地であり、陽明学でいう「太虚」に通ずるのである。この陽明学については後で触れたいと思う。私は溝口を何戦和尚と見て、金閣を猫と見る。「南泉斬猫」では迷いの根源が猫であって、『金閣寺』では金閣が溝口にとっての「怨敵」であった。南泉和尚は猫を斬り、溝口は金閣を焼いた。それは南泉和尚も溝口も「行為者」であったからである。溝口の友人である柏木は「認識」こそ「生に耐えるための方法」だと言った。それに対し、溝口は「世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない」(3)と言っている。そして溝口は「行為者」として金閣をついに焼く。私は溝口を通して、三島はある種の告白をしていたと思う。それは三島が「認識」よりも「行為」に重点を置いているということである。「認識」ではなく「行為」が世界を変えるというところを私は『金閣寺』のメッセージとして受け取った。
3.陽明学―知行合一
三島は『行動学入門』で行動の大切さを訴えている。IIIの章では「革命哲学としての陽明
学」と題し、陽明学がもう一度見直されるべきであると主張している。先ほどの「南泉斬
猫」の公案で趙州が実践した菩薩道、すなわち禅の「無」と陽明学の「太虚」とは相通じ
るところがある。「太虚」を説明するのに、三島は大塩平八郎の言葉を引用している。
「太虚というものこそ万物創造の源であり、また善と悪とを良知によって弁別し得る最後
のものであり、ここに至って人々の行動は生死を超越した正義そのものに帰着すると主張した」(4)。
つまり、「太虚」とは一切の物事の根底にある根本原理です。私たちは自分と他人、善と悪、肉体と精神などいろんなことを分けている。しかし、それらの根底には共通したものがあり、その共通した原理こそ、善悪を超越した「太虚」なのである。また、陽明学はすべてを一つの根本原理と考えるから、「認識」と「行為」または「行動」も分けて考えない。「認識」と「行動」は一つのものと見る。つまり「知」と「行」の一致;知行合一である。知行合一を最も端的に言い表したものが「知ツテ行ハザルハ未ダコレヲ知ラザルナリ」である。ここに陽明学の最も重要な主張があると三島は言っている。以上のようなことから考えてみると、私たちは研究したものを、ただ発表するだけでは全く不十分だということができる。それを発表して、その身で実行しなくてはいけない。知っていてそれを行動に移さない者、それは何も知っていなのである。ただ頭の中で考えたものを話し合っているだけでは、それはただ言葉の世界で言い争っているだけで、それが本当にそうなのかを知っているとは限らない。水が冷たいと知っていても、それがどの程度冷たいかは知らない。それを知るには、直に触れるしかない。グルメリポーターがどんなふうに味を表現しても、視聴者は決してその味を知ることはない。知る唯一の方法は食べるという「行為」しかない。
4.ドン・キホーテ的人間―三島
細分化という言葉があるが、近代の知識人はあまりにも物事を細かく分けすぎた。神を捨てて技術を得、私たちの生活は豊かになり、ますます便利になっていく。しかし、それによって私たちが失ったもの、それは心であり、魂である。『行動学入門』で三島は大塩平八郎を引用し、「身の死するを恨まず、心の死するを恨む」といっている。セルヴァンデス著の『ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ』という小説の主人公、ドン・キホーテは風車に向かって突き進みましたが、それは巨人でなければならなかった。それが愚かな行為だとしても、突進しなければならなかった。それが彼にとっての正義だからだ。そしてそれを冷徹な目で傍観するサンチョ・パンサは果たして何を手に入れたのか。風車を風車としか見ることができない現代人は心も情熱も捨て、代わりに無機質な現代を手に入れた。バルコニーで必死に訴える三島とそれを嘲笑し、ヤジを飛ばす自衛隊員、国民、政治家、メディアの関係はまさにドン・キホーテとサンチョ・パンサの関係である。今日の日本は危機的状況にあり、三島はやはりこうなることを見抜いていた。私たちは一個人として存在し、また日本国民としてもっと自覚するべきで、日本の危機的状況から目をそむけてはいけない。もっと政治に関心を持ち、世界の動向に常に目を配らなければならない。そうしてはじめて日本をどうすればよいかということが言えるようになる。日本国民でありながら、日本に対してサンチョ・パンサ的人間であってはならない。阿波踊りという、徳島県を発祥とする盆踊りがあるが、その掛け声に「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々」というものがある。憂国の人民であれば、踊る阿呆でなければならず、絶対に見る阿呆であってはならない。嘲笑されようと、自分が信じた目標に向かって最後までやり通す「行為者」が三島であり、この点において私は絶対に評価をする。
5.文化を守るためには
私たちの国の文化を守るためには、私たちが国を身を挺してでも守ってやるという覚悟を持っていなければならない。三島は『文化防衛論』で、ある非武装平和を主張する一人の言葉を引用している。「日本は非武装平和に徹して、侵入する外敵に対しては一切抵抗せずに皆殺しにされてもよく、それによって世界史に平和憲法の理想が生かされればよいと主張するのをきいて・・・・・・一億玉砕思想は、目に見えぬ文化、国の魂、その精神的価値を守るためなら、保持者自身が全滅し、又、目に見える文化のすべてが破壊されてもよい、という思想である」(5)下線部分が大変重要である。私たちが何かを守ろうとするとき、本当に守りたかったら、自分の命も惜しまぬ覚悟で守るはずである。しかし、私たちは命の保証が最優先にされている時代に生きている。その代わりに、命を賭けるであるとか、「覚悟」という言葉は非常に実感がわかない。私たちは何をするにしても、命を取られるということは決してないと安心している。だから、何をしてもその行動は軽い決断のもとでくだされ、失敗しても殺されない。私たちはこういう時代に生きている。政治家は保身に走り、責任を放棄し辞任し、失言を繰り返す。その心意気の腐敗は時代のせいなのかもしれない。「身を挺する」という覚悟が実感しにくい時代ですが、私たちがどんなことでも絶対に失敗してはいけない、という「覚悟」がなければならないと思う。「覚悟」の持った行動というものを国民みんなが持っていれば、国は絶対に良くなっていくであろう。
6.結論
現在の日本の政治家は保身のための言論というのが目立っているように思う。何か「覚悟」の持った言論を発し、そして行動する。そこがとても大事である。その行動が正しいかどうか、それはわからない。しかし、行動しなければ正しいかどうかも分からない。考えたことを実行に移す。そしてまた考え、実行していく。その繰り返しが善悪を超越した「真理」になるのではないかと思う。三島の行動が否定される意見をよく耳にするが、1970年11月25日に三島が起こしたその行動は、三島の覚悟、命がけの行動であり、その行動が正しいかどうかは別にして、行動を起こしてということは評価するべきである。特に私たち大学生がこの命がけの行動というものを見直さなければならないと思う。それは、大学生が一番自由であるからである。それは学問的にも、行動的にも。大学では好きなものが学べる。また一方でどんな行動でもできるからである。私たちは「溝口」でなければならず、「ドン・キホーテ」でなければならず、「踊る阿呆」でなければならない。行動にその身を置かなければならない。大学生はより政治、国防、外交などに目を向け、自分の意見というものをしっかり持ち、その意見を覚悟をもって主張するべきである。そして全力で行動するべきである。身を賭けるからこそ、その考え。意見は命を持ち、人々の心を動かすのである。
参考文献
三島由紀夫『文化防衛論』2006/11/10ちくま文庫
三島由紀夫『行動学入門』1974/10/25文春文庫
三島由紀夫『金閣寺』2011/6/10新潮文庫
(1)三島由紀夫(2011/6/10)『金閣寺』新潮社83頁
(2)前掲書84頁
(3)前掲書273頁
(4)三島由紀夫(1974/10/25)『行動学入門』文春文庫
(5)三島由紀夫2006/11/10『文化防衛論』ちくま文庫41頁(下線は筆者)