日米安保条約 何故、再改定が必要か 同志社大学理工学部 稗田晃大

はじめに

昨年、安全保障条約が締結されてから50年が経ち、日米両国は、日米安全保障協議委員会(通称「2プラス2」、日米外相・防衛相の会議)による「共同声明」を発表した。その声明では、「日米同盟が引き続き21世紀の諸問題に有効に対応するよう万全を期して取り組む決意である」、「さらにゆるぎない日米同盟を築き、21世紀の変化する環境に相応しいものとすることを改めて決意する」と同盟を「深化」させる「決意」を示した。しかしながら、私には、この声明から今後の同盟に対する熱意や具体的な方向性が感じられないように思えた。
当時の鳩山首相が、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画を、「最低でも県外」と巻き戻したことで、この50周年という日米同盟を再定義する絶好の機会を逃すことになってしまった。かろうじて関係閣僚4人が(先に述べたように)「共同声明」を発表し、その場を取り繕ったが、当然のことながら、現下のぎくしゃくした関係が投影されており、鳩山・オバマ両首脳はこの「共同声明」において談話や声明を発表するのみで、署名は日米首脳ではなく、関係閣僚に格下げになった。半世紀を経た同盟の今後を誓うなら、時代に合わせた安保再改定か、日米首脳による共同文書を目指すべきではなかったろうか。現在起きている問題は、元々日米同盟が抱えている矛盾や問題点が露わになったのであり、そのほとんどが想定された範囲内だ。今日の日本は自衛力を含め国力の面では半世紀前とは比較にならないほど大きな存在になっている。ただ、安保意識面においては、時計の針は停まってしまったのも同然である。そういった中で、我々は今の日米同盟関係をそのままにしていてよいのだろうか?

以下の項目では、「日本は安保改定し、自国防衛すべきである」という自らの主張を支持する具体的事例として、日米同盟の矛盾を挙げ、さらにはその矛盾を解消するための方策を示したい。

1.日米同盟の矛盾

日米同盟には、以下の3つの矛盾や問題点を抱えている。
一つ目は「核密約」等に関わる長年の矛盾だ。日米安保の中では「在日米軍の配置・装備に対する両国政府の事前協議制度」が規定されているため、米軍艦船等による核兵器持ち込み疑惑について、「事前協議がないのだから核もないはず」としている。しかし、事前協議を申し出るか否かは米国の自由であり、事前協議抜きで核兵器を持ち込むことは可能である。さらに、米国は自国艦船の核兵器搭載について「肯定も否定もしない」という原則を堅持しているが、日本に寄港する艦船が核兵器を搭載していないというのは軍事的常識としてあり得ない。また、問題になっている「非核三原則」も米国の世界戦略に巻き込まれる不安を和らげるための措置であったが、この「核密約」の存在により、過去の矛盾した対応が明らかになった。日本は「米国の核の傘」による抑止力で日本を守って欲しいという意志を持ちながら、非核三原則を掲げる安保政策の矛盾にどう折り合いをつけるのか。いつまでも、二つの顔を使い分けるには限界があるように思う。

二つ目は、日米に限ったことではないが、同盟に対する依存度が高ければ高いほど、主権国家としての自主性を損ない、相手国に追随しがちになりやすいということである。日本の安全保障にとって日米同盟は、唯一と言ってもよい、最も重要なものだが、アメリカにとってのそれは、自国の安全保障の一部にすぎない。また、ヨーロッパはNATO(北大西洋条約機構)の印象が強いが、それに加えて、欧州安全保障協力機構(OSCE)やEU内の欧州安全保障政策(ESDP)があり、それぞれの役割分担がなされている。その意味において、安全保障に関する対米依存度を下げようとする鳩山政権の試みは意味がない訳ではなかったが、しっかりとした時間軸に沿った青写真と実行力があったように思えない。

日米同盟は、もともと対等な関係にあり、法的にも主従関係ではない。しかし、日本は自国の安全保障を主体的に考えず、実態として主従関係にならざるを得ない状況を放置してきたのだ。戦後、日本は日米安保の下で幸運にも目覚ましい発展を遂げ、平和で安定した生活を65年間も謳歌してきた。ところが日本は、米軍庇護下の60年で、経済力と安全は享受出来たが、自らの国を自らの手で守ろうとする自立心や気概を喪失してしまったのではないだろうか。

三つ目は、日米同盟の防衛における「片務性」の問題である。安保条約改定の最大の意義は、現行体制化で日米双方が感じてきた「不公平感」を解消することにある。歴史的に見て、安保体制は戦後の両国の国情に合わせて、外交的に非常に巧みで賢いやり方でまとめられ、東アジアの平和と安全を維持する国際的な公共財の役割もある程度は果たしてきたように思う。他方で、現行体制にはどうしても互いに不公平感を抱いてしまい、様々な摩擦も招いてきた。米側にとっては「米国は日本を守るが、日本は基地提供だけで事実上米国を守る義務を負わない」となるが、一方の日本側では、「基地を提供し、駐留経費も相当な額を負担しているのに、これまでに米軍が日本の有事の際に血と汗を流し、守るような状況はなかったではないか」との不公平感が根強く、国民感情には米国への依存心と反発の両方が並存している。だからこそ、日本の自主的な防衛努力の強化を前提に、これを全面的に解消して日米が真に対等な同盟関係を構築できるよう目指さなければならないのである。

2.矛盾を解消するためには

では、このような矛盾や問題点を解消するためにはどのようなことが必要なのだろうか。
具体的には、これまでの日米共同対処の対象は日本の領域に限られていた。これを「いずれか一方に対する武力攻撃」と改め、日米いずれへの脅威や攻撃に対しても両国が対等な立場で臨めるような状態が必要である。更には、同盟の対象地域を現行条例「極東」から「アジア・太平洋地域」に改める必要もあるのではないだろうか。これには、アジア・太平洋地域において、日本が米国の有事の際に協力するという意思を明示し、対等な同盟関係を目指す意味合いがある。

併せて、国連憲章に明記されながら憲法解釈で「行使できない」とされ、日本の外交・安保政策で忌避されてきた「集団的自衛の固有の権利」を行使することとし、共通の危険に日米が共同で行動すると宣言するべきである。何故ならば、米国の力の相対的低下が目立つ中で、中国の急速な軍事的膨張と海洋進出が進行しているからである。イラク・アフガニスタン等での対テロ戦争による消耗、2008年のリーマン・ショック、また史上初の米国債の格下げに代表される債務問題で、米中の力関係にも大きな変化が見られる。さらに、日本の周辺では、中国だけでなく、ロシアや北朝鮮も挑発的行動をエスカレートさせている。ソ連共産主義の脅威を主な対象としていた冷戦期とは、21世紀のアジア及び太平洋の安全保障環境は大きく変化し、日米同盟はますます厳しい戦略環境に直面しているのだ。

一方、日本だけが米軍に基地・施設を提供するよう定めている現行条例は、日米共に相手国の施設・区域を使用できるよう改め、必要ならば日本の自衛隊が米国内の施設などを使用できるようにするべきである。これによって、現行条例で日本だけが米軍への基地提供義務を負っていた「片務性」は改善されることになるだろう。

最後に、この安保改定50周年という節目は、日本の長期的な利益に照らし合わせ、どのような安保体制や国際関係の下で日本の国益や安全保障が保たれるのか、その原点に立ち返って考える良い機会である。真の自立努力なくして、真の日米相互協力は成し得ない。現実の安全保障を担保しつつも、中長期的な視野で見たときに、やはり一主権国家として、自主性のある自国防衛は必要なのだ。自主防衛ありきの、時代の要請に応じた同盟関係の再構築・強化が必要とされている。問題は、日本がそのことを望むかどうかであり、日本政府としてのはっきりとした意志を国際的な場で見せることが必要なのである。

(1)MichaelJ.Green&PatrickM.Cronin編著、川上高司訳(1999年)『日米同盟米国の戦略』勁草書房
(2)川上高司著(平成13年)『米国の対日政策改訂版』同文舘出版
(3)DonOberdorfer・小島明著(1998年)『21世紀の日米関係経済・外交・安保の新たな座標軸』日本経済新聞社、第2,11,12章
(4)大内浩・宮里政玄編著(平成5年)『日米関係の再構築協調と対立をこえて』同文舘出版
(5)防衛庁編(平成23年)『防衛白書』ぎょうせい、第I部第2章