特別寄稿 論文「現在の教育に欠けるもの」 川桐 信彦

はじめに

『国家の品格』という本が一時ベストセラーになった。多くの人が品格を失った日本の現状を嘆き、そのような状況を如何に変革するかという課題に大変関心が深いということを、その事実が示している。

ところでこの本を一読すると、敗戦という屈辱の中で日本人はその誇るべき伝統さえ捨て去り、アメリカナイズされ、軽薄で、物質的で、精神性を失い、本当の意味で国家の品格まで失ってしまった。従って日本の伝統的な、しかも世界に誇り得る唯一の精神的バックボーンである武士道を復活させるべきだという主張なのである。日本の精神的核は結局武士道でしかないし、品格を形成する因子も武士道だというのが、その主張の背景にある。

確かに日本人は敗戦後、明治以来の欧米に追いつき追い越せ一色を、特に経済面に集中させてきた。そして日本独自に保有され育ててきた文化的価値まで、自信喪失の中で打ち捨てた部分が多くある。

この本が指摘するように、紫式部の文学や江戸時代の固有な文化は、数学も含めて世界に冠たるものには違いない。そのように、部分的には日本人のコンプレックスを和らげ、誇りを幾分でも取り戻すきっかけを作り出そうと、この本の著者は配慮する。

だからと言って、武士道の復活のみで、日本が本当にその品格を打ち立て得るのか。現在の多くの若い世代の人びとが、そうした考えに同調できるのか。ましてその「国家の品格」を客観的に外側から感じ取るであろう諸外国の人々が、それで納得するであろうか、など様々の疑問や問題があふれ出てくる。まして、そもそも品格とは何を指すのかが問われてくる。

マスを対象に武士道を声高に宣伝したところで、国家の品格が芽生えるはずもない。むしろ国家の品格をより具体的に形成するのは、あらゆる場でリーダーシップを発揮する中堅の人材を育てる「大學の風格」である。品格を云々する時その対象となるのは、何よりも先ず政治と大學であろう。国家の品格を下支えする伝統文化は、既に建築、舞踊、歌舞伎、茶道、華道、衣装といった分野で、世界的な水準と特殊性を発揮している。

最近、エリート教育の重要性がいまさらのように論じられているが、大學の存在理由そのものがそこにあったことが、いつの間にか忘却されてしまったからである。どんな人間がその国家のリーダーであるかによって、国家の品格はある程度印象付けられる。

よく考えると、日本文化の特徴として「道」という言葉をつけた多様な文化が存在する。武士道ばかりではない。華道、書道、香道、剣道、柔道、茶道など多種多様である。そしてこれらの文化を「道」として把握する日本人の特質こそ検証すべきではないだろうか。そこに日本独自の品格や風格が芽生えていると考えられるからである。

加えて私は国家の品格を言う前に、国家を形成するリーダー的存在を育成するはずの「大學」とは何かという設問こそ、現実の課題として考えなければならないと感じて独自なアプローチでこの筆をとった。品格や風格を下支えする日本独自の文化については、既に厖大な発言と文献がある。むしろ、その特有な文化や伝統について確かな見識があるのかどうかが問われなければならない。さらに大學とは何かという設問もまた、そうした日本独自な精神文化と並行して問わるべきだろう。「伝統」という言葉自体、明治時代の一部の日本人が欧米に対抗する目的で作り上げた新造語だそうで、対抗意識は良いとして、それがいじけた狭小なナショナリズムに転化される必要は無い。品格や風格は、もっとおおらかな態度で論じられるべきだろう。

「大學」とは何かを論じるに当たって、もう一つ考慮しなければならないのは、2002 年10 月 4 日に文部科学省で行われた記者会見で、遠山敦子大臣によってより具体的な COE(Center of Excellence)プログラム構想が明らかにされたことである。国立大學の法人化や少子化などによって経営困難に陥るであろう将来の大學について、先ず競争原理が明確に考慮され始めたということである。その趣旨は、日本の大學に世界最高水準の研究教育拠点の形成を目指すと言うものであるから、まさに本論の第二章で述べるダンディズムの復権に合致する課題である。世界最高水準の大學といえば、ケンブリッジ、オックスフォード、ハーヴァード、ソルボンヌなど、海外の遠くにある大學ばかり夢見ていた 1950 年、60 年代に比較して、これは大きな変化である。戦後半世紀以上を経て、ようやく日本は経済や産業のみならず文化や教育の方法論においても、世界と競う意識に達したと言えるからである。

もう一つは、単一の大學では満たしえない教授陣、施設などを、複数の大學の合従連衝によって満たそうとする動きである。企業の合併と同様、経営の視点からこのような動きがあるのも時代の流れであろう。すると、これまで単一の大學の拠り所でもあった大學の個性や伝統に抵触する問題がそこに生じてくる。しかし、個性や伝統は常に継続的に創造されるものであるから、大學がどのような形態であれ、その個性や伝統は重視されなければならないし、またそこに新しい伝統が芽生えるのであろう。「知の創造」、「知の継承」、「知の活用」といった大學の責務に、それぞれの大學が個性を示すはずだからである。こうした 2000 年代に入ってからの現実の動向を見るうえで、読売新聞大阪本社編の『大学大競争』(中央公論社刊)及び古沢由紀子著『大学サバイバル』(集英社刊)を参照した。

日本は戦後の強制的な学制改革で四年制の新制大學となり、これに二年間の修士課程と三年間の博士課程を持つ大學院が併設された。旧制の高等学校や帝国大學に一種のノスタルジアを抱きながら、新制の大學を何とか守り育ててきた。そして昨今の少子化問題から来る経営難と、社会的、国際的且つ科学的急変の中で、新たな方策の設定にすべての大學が迫られていると言えよう。大學とは何かを再吟味することは確かに国家的急務である。

著者は、ここで体系的な大學論を振りかざすつもりは無い。ただ大學と大學院に於ける私の 12 年間の体験を通して得た、大學はこうあるべきではないかというささやかな提言をまとめてみたにすぎない。いわば現場の体験から発した提言である。しかも「大學とは何か」を論じる場合、私固有の美意識によるしかない。確かに大學や教育の問題は、単なる思い付きで論じ得るものではない。深く熟慮する必要が有る。例えば「東大神話」は崩壊した、などと自分の国が蓄積した文化財や伝統を汚して羞じぬ興味本位の言説が罷り通っている。ハーヴァードやケンブリッジの神話が崩壊した、などという話は聞かない。例え時代や人々の価値観に変動があっても、長い年月をかけて積み上げられていく「風格」が汚されてはならない。「東大神話」の崩壊とは、そこを卒業さえすれば官僚としての将来が約束され、大企業での将来の地位も約束されるという神話を担保するものが無くなってしまったということであろう。だが、東大が真に大學としての風格を失うことなく、丁寧に一人一人を育て上げれば、そこに新たな神話が出現する筈である。「大學とは何か」は「大學の風格」を先ず基軸として論じられるべきであろう。

一 大學の現状 一

1 大學の大衆化

昭和 28 年頃、二十数倍の競争率で私はある私立大學に合格したが、入学するのがこれほど難しい大學ならまさに秀才ばかりの集団だろうと思い込んでいた。ところが実際に秀才だと思わせる学生は一つのクラスにほんの数人しか存在せず、大學はアメリカ的大學大衆に満ち満ちていた。

大學大衆に満ち満ちていたなどというと、何を無礼な!と怒り出す人もいるかもしれない。あるいは、それは単に個人的な印象だと一蹴されるのかもしれない。大學はアメリカと同様、その門戸は広く解放され、昔のように「狭き門」あるいは「象牙の塔」的な感覚では最早考えられないのかもしれない。確かに大學進学率が高まるに連れ、アメリカの多くの大學に感じられたミーハ‐的雰囲気が、日本の大學にも浸透してきたのである。現実に放課後になるとマージャン、ゴルフ、ダンス・パーティ、株などの話や、いかに面白く遊ぶかといった話ばかりで、肝心の哲学的議論や政治論あるいは藝術論を戦わせるなどという雰囲気は全く無かったと言ってよいのである。例えば私が荷風とかサルトルなどの名前を口にしても、「荷風か」とか「サルトルねえ」といった冷笑的な響きの返事が返ってくるばかりだった。文学部の学生だからと言って、すべての学生が文学者や作家になるとは限らない。それは当たり前のことかもしれないのだが、私はどうしてもそのこと、つまり議論がないことに引っかかっていた。議論する雰囲気の無い大學は変だと思っていたからである。

旧制の大學と異なり、アメリカ式の学校制度を導入した新制大學への進学率は次第に高まったが、学生の質は次第に低下したのが事実であろう。大學の教室でも、できる学生が「はいっ」と手を上げ教師の質問に答えるという、まるで新制高校の延長のような雰囲気で、すっかり落胆した記憶がある。どうも私には、旧制大學や旧制高校に対するノスタルジアがあったのかもしれない。終戦の時、中学一年だった私には、その後導入された新しい学校制度がしっくりしなかったのかもしれない。大學そのものが、全体として、すでに私の予期した大學の雰囲気ではなかったのである。

演劇部を覗くと、金色夜叉をやりたいなどと言っている地方出身の学生がいたりして、私は二度とそこに顔を出さなかったのだが、本当に演劇をやろうとしている連中は、例えば浅利慶太などのように、すでに大學の外でプロへの道を進んでいた。文科系の実力者は、学外で実際的な活動に従事していたようである。このように大學に籍だけ置いて、好きな道へ、プロの道へと歩んでいく学生も存在していた。そのこと自体にとやかく言うつもりは無い。つまり大學は、何かをやろうとする学生達の一つの足がかりだったのである。それもまた大學の現状のひとつだった。演劇や文学や映画など、創造性が重視される分野を目指す人は、大學やその授業などに余り重きを置かないといった雰囲気は昔からあった。大學の側も、その経営上の必要から、ある一定の人数を合格させる必要があった。

従って大學とは、単に卒業証書を得るための一種の足がかりであって、そこで本気で何かを学び取ろうとする学生は毎年ほんの数人でしかないのに違いない。そのほんの数人が大學院へ進み、学者となり大學教師となる。あとは、大學に在籍した痕跡だけ残して、勝手に様々の方向へ散って行く。期末試験だけ受けて、後は大學に顔も出さない学生が、三、四年生になると増えていた。そう言えば、試験の時だけ見たことも無い顔ぶれがずらりと並んでいた記憶がある。確かに多くの大學の多くの大學生は、単に箔をつけるために、あるいは就職のために大學に入り、何となく卒業してしまう。本気で勉強する僅かの人が、大學院へ進み、研究者となり、大學教師となる。それが大學の実情であろう。学者となるばかりが大學の本筋でもない。あらゆる方面へ散って行くことによって、あらゆる方面の風格、品格、水準が向上されなければならない。とすれば、少なくとも「風格」ある大學は、そこに在籍したという強い痕跡を残しうるものでなければならない。あらゆる散って行った「場」で、さすがと思わせるものを身につけているようにしなければならない。在籍したと言う強い痕跡を残すには、例えば私が学んだ大學のように、幼稚舎から始まって、中等部、高等部へと進み、大學を終えるまでに十六年間在籍すべきなのかもしれない。

演劇ばかりでなく、例えば文学でも「三田文学」のように、教室外の組織の中で、本当に文学をやろうとする人が少数でも集まっていた。あるいはこの大學の特性として、教室の中で哲学や文学を論じ合うなどということは、大変「ださい」ことだったのかもしれない。幼稚舎から進学してきたような学生が、激しい競争を勝ち抜いて大學に入学してきた学生に、東大へ行きゃあいいんだと言っているのを聞いたことがある。

こうした大學の大部分の実情は、現在でも大差がないようで、いわゆる名門大學ではない、新しく出来た二、三の大學で教えている若い講師に聞くと、教室での学生達の知的水準の低下や、講義が出来ないほどの騒々しさにはあきれるばかりだと言う。私がある名門女子大で講演を頼まれた時、学生達の騒々しいお喋りを覚悟してくださいと言われたので、講演の初めに興味が無い人は今から退席するようにと言ったら、退席者は一人も無く、かつ平静な雰囲気が保たれたのである。勿論、話し方や興味をひきつける内容にも充分な気配りが必要であった。

さて受験生が殺到した時代は過ぎ去り、いまやどうしたら定員を確保できるか、というのが大問題となっている。多くの大學は、何よりも採算の取れる大學の経営こそが当面の課題なのであろう。こうした現況の中で、COE プログラムによって選出されたトップ 30あるいはトップ 50 の大學の大學院博士課程レヴェルの研究科や研究所に、一定の研究費を国が配分するという政策が打ち出され、優秀な教授と研究内容をもった大學は、国家が支援するという具体策が出てきた。

こうした方策で、何らかの競争意識が創出され、適者生存の原理で大學が次第に淘汰されるのかもしれない。いずれにせよ本来あるべき大學の姿が、一日でも早く実現されなければならないし、本来あるべき大學の姿とは何かが、充分議論される必要がある。そのため大學の現況を鋭く洞察し、状況の変化や形態上の変化があっても、大學の核心となる部分をより鮮明化する必要がある。だからこそ「大學の風格」がより一層意識されなければならない。機能的なことや実学尊重に流れる時流の中で、大學の「風格」を作り上げる作業は困難ではあっても一層重要なのだ。それが本来の大學の気風、存在理由、質といったものの答えとなるかもしれないからである。「風格」というこの抽象的な言葉を、それでは次の諸命題によって具体的に究明してみよう。

2 教授の人格

私が入学した慶応義塾の講義で特に印象深かったものの一つは、詩人で英文学者の西脇順三郎教授による「現代イギリス語学」だった。印象深かったという理由は次の通りである。

最初の講義のとき、教室へ入ってきた西脇教授は、教壇の周囲を見回した後、開口一番「この大學は、紳士を作り上げる大學である。そのような大學の教室の壁に、土足の跡があるとは何事か」と、はっきりした強い声で学生達を叱責された。教授とは、単に知識の切り売りだけではなく、全人格的に学生に接しようとする存在であることを最初の時間に西脇教授は身をもって示されたのである。

さらに慶応では、フランス文学者の白井浩司教授の講義を、私は二つ受けた。その一つはフランス文学史、もう一つはスタンダールの「赤と黒」の原典講読で、当時まだ助教授だった白井先生の講義はユーモアとエスプリに満ちていた。白面、長髪、長身が示す先生のフランス文学者的雰囲気が、私は好きだった。三田文学の集まりでお会いした時、フランスに留学して、自分が日本人であることを痛感しましたと話されたことが、記憶に残っている。文学部の出身者でも、小説や評論を書き続ける人が殆どいないことを嘆いてもいらっしゃった。先生はまた、仏文科の学生で新劇に進もうとしていた人に、親身になってアドヴァイスをしていた。その学生が日下武である。教室以外での接触を親密に、しなやかに実行された白井先生の人格も際立っていた。

学生の平均的レヴェルが下がっても、こうした優れた教授との学内、学外での人格的接触こそ、大學の本来的価値だと言えよう。あらゆる意味で、高い資質と人格を備え、その教授が存在する大學だから入学してみようと学生達に思わせるような教授の存在こそ、大學の風格を形成する重大な要素の一つである。ある教授の人格、見識、学問的業績を総合したものによって得られる貴重な知的財産を、その教授の授業を受けることによって、継承できる、あるいは何らかの進むべき道が示される、あるいはその研究業績の上に立って、さらにそれを乗り越えようと学生は考える。従って何処の大學で学んだか以上に、どんな教授に学んだかが、益々これからの大學教育の重要なポイントになると思われる。

前述のように、複数の名門校が連合すれば、学生にとって選択の幅が拡大し、良い教授のよい講義を聞くことがより可能になるのかもしれない。大學間競争の中で浮かび上がった対策は一部、学生の側にとっては大変意義のある形態上の変化が期待されるわけで、否定的な条件の中で、かえってより良い大學再編の可能性が見えているようでもある。少子化は学生を選別するばかりか、教授の質をも選別せざるを得ない。

3 大學の知的環境

東京のある大學を訪れた時、古びたバラックのような二階建ての寄宿舎が四棟ばらばらに建っていて、その一つは廊下のはずれが裏道に通じていた。雨の日など学生達が土足のまま裏道から廊下に上がりこむので、廊下と土の道との区別がつかないくらいに廊下の木の板が土に覆われていた。当時(昭和 30 年ごろ)駒場の東大寮も汚なかったが、それ以上にまるで競うように生活の場が荒れ果てていた。いわゆるバンカラ風を良しとするこのような環境から、一体どんな人格が形成されるのか。それはまだ日本が、とても貧しかった時代の話だと言えばそれまでだが、環境が人格に及ぼす影響などいまさら言うまでもない。

環境の整備と感性や知性との関係について、私は 1970 年頃『表現の美学』(紀伊国屋書店刊)で主張したことがある。美意識の強い日本で、都市や大學の環境への配慮が薄いことは驚くばかりだという指摘をしたが、大學はその環境の整備に充分な配慮が必要であろう。様々の大學を訪れてみて、ある一定の水準を保っている建物とその配置を見せるのは非常に少ない。本来なら、百年、二百年の建築的な意図を持って、学舎を建てなければならない。大學の建物が風挌を形成する要素の一つであるといっても過言ではない。著名な建築家の代表作になるような大學の校舎があって当然なのだ。

政治家の風格の下劣さや政治的表現の拙劣さにも、その本の中で触れたが、三十年以上も経って、ようやく少しずつ改良されてはいるように見える。つまり、日本人は美意識が強いと言いつつ、現実の生活の場で、あるいは表現文化の中で、どれほどその美意識が現実に役立っているのか。京都の寺や一部の人たちの茶室とかに、その美意識とやらが生かされているに過ぎないのではないか。大學は内容においても、環境においても知的美意識が表現されていなければならない。その際古い建築ばかりに依存する必要も無い、新しい「作品性」のある大學の建築に期待するのである。

4 セミナーの体質

ある学会で、「ロマン主義に関する一考察」という研究を発表したことがある。短い制限時間内での発表だったから、論文の要旨のみと断って発表した。そのような時は、概要しか触れることが出来ない。従って当然、様々な疑問が生じる。より踏み込んだ解説が求められる。そのため、質問の時間も用意されている。前のほうに坐っていたある人が手をあげ、私はロマン主義を専門に研究しているが、この「ロマン主義が全欧州に拡散した」という表現には賛同できないという。ロマン主義にはドイツロマン主義、やフランスロマン主義など、幾つかの種類があるからだというのがその理由だった。その質問者は、まるで切って捨てるかのように断定的に発言されたので、私も何か大きな間違いをしたのかといささか戸惑ったほどである。

ロマン主義がドイツ、フランス、イギリスなどそれぞれの国で、特別な歴史的、風土的、民族的な特質の下で育ったことなど、少なくとも思想文化の研究者にとって常識であろう。その質問者はどこかの大學の先生には違いないのだが、自分の質問が 2A マイナス A は 2と考える人のように、簡単な共通項の判断が出来ていない。その場合、若干の歴史的、風土的、性格的違いはあっても、「ロマン主義」そのものは共通した概念なのであって、ロマン主義が全欧州に拡散したと言っても、それほど大きな間違いではない。

だからこのような場合は「ロマン主義が全欧に浸透したと言える根拠は何でしょう」くらいの質問でよいのではないか。ここで問題にしたいのは、質問の内容についてよりも、質問する側の態度なのだ。

恐らくこの質問者は、何か別の理由で発言したとしか思われないのだが、感情的な揚げ足とりで、重箱の隅をつつくようなこの人のセミナーの雰囲気が、容易に想像できる。先ず、何でもいいからやり込めてやろうという意識が働く。大學は先ず人格形成の場だと言う認識に欠けている。セミナーや研究発表の場は、揚げ足とりの場だとでも錯覚しているようである。

大學院のセミナーでの経験でも、とにかくやり込めてやろうとか、つまらない見得をはって目立とうとするための発言がある。これだけの材料ですべてのセミナーや学会の現状を推測するわけにはいかないが、すくなくとも「言葉」の表現にはある程度の神経を使うべきではないか。大學における品格ある表現がなおざりにされていることを、そうした現状は示している。少なくとも大學院とか学会という知的成熟度の高い大人の世界では、互いの人格を尊重する言葉使いを訓練すべきであろう。

相手を紳士と見なす空気が、どうも日本では少ない。オックスフォードやケンブリッジに留学された教授の風貌や立居振舞に、毅然とした紳士の雰囲気が漂っているのを感じたことがある。その雰囲気は、やはり留学中に身につけたものに違いない。水準において世界と競合するのは良いが、少なくともエチケットや礼節においても世界最高水準を維持したいものだ。まして日本人は、かつて世界的に礼節を重んじる人種だったのである。さすがに知的水準も高く、内容豊富な先生方の質問は、多くの場合丁重で、的を射たものである。発表された研究内容について、不備や誤りを指摘するばかりでなく、セミナーの本来の目的に添って、どうしたら互いに充足感が持てる結論に達するかを、教授も院生も考慮すべきであろう。深く推測する力を養うことで、人と人との間の知的交流に、より紳士的な表現が育成されるのではないか。そこに独自な風格が芽生えてくるのは言うまでもない。

5 講義の満足度

哲学の助教授が、ある時、「テキストを離れて、一般的に哲学の課題について何か質問があればどうぞ」と発言された。哲学を知識として、あるいは特定の哲学者の思想を分析するばかりでは哲学を学んだとはいえない。眼前の事柄を哲学的に思考するのも、重要な哲学の課題だと私は考えていたから、ここぞとばかり、「日本の政治に哲学が無いとよくいわれますが、その実情をどのように分析されますか」と質問した。助教授は、ラテン語のテキストをきれいな発音ですらすらと読み、その翻訳も明瞭的確で、私はこの秀才助教授からどんな回答が得られるかを期待した。ところが助教授は、政治が現実主義的なのは当然でしょうとつぶやくように言って、後は言葉を濁していた。専門外の問題なので、答える必要は無いと考えられたのかもしれない。

現実の課題を厳密に思考し、ある目的に向かう創造的な活路を見出すのが哲学ではないかと私は思っているから、その回答に不満だった。専門的知識内でのやり取りばかりでなく、それを土台にして現実の問題にどう対応するか、その答えを学生は求めているのではないか。もし明確な回答が不可能であったり、質問の趣旨が不明瞭であれば、そのことを指摘しても良いのではないか。うやむやに済ませるというのでは、質問者も回答者も何か消化不良の状態で、その時間がおそろしく無駄に思われてしまう。つまり、その質問を手掛かりに、哲学とは何か、哲学するとは何か、質問の中身を哲学的に分析すればこうなるといった展開が必要なのではないか。さらに悪いのは、質問者の質問が愚劣であったかのような結末になったことである。質問の意図を掘り下げてみる配慮も必要だったのではないか。

別の講師の講義では黒板いっぱいにドイツ語の単語や人名が書かれ、話題が八方に飛び、その人の知識の豊富さはわかるけれども、その講義の中心的内容は何であったかがサッパリ分からないなど、主に講義術の研究が先生方には不足しているように思われたことがある。訓練とはいわないまでも、講義を如何に実施するかという課題に対し、独創的な方法を研究されることが少ないのではないか。

専門家として、あるいは学者として尊敬できるが、一講義ごとに、一演習ごとにもう少し学生が満足できるような配慮も必要ではないか。研究者と教育者の二面が、充分に総合されていない嫌いがある。いや研究者と教育者は別だというなら、現実の教室における教育の実態は、さらに課題として究明される必要がある。前述のように、学生を一人の人格的存在として遇する空気が薄いために、このような現象が生じるのではないだろうか。

少子化で大學全入時代が来るとか、教授の能力評価の指標として学生側の授業評価があるなどによって、新しい事態に対応する場当たり的方策が人気取り的授業、極端にレヴェルを低下させた講義を現出するかもしれない。そして、大學は奥行きも深みも風格も失うばかりか、その質まで低下させてしまう危機に遭遇するかもしれない。大學の本質が究明されると同時に、講義やセミナーの方法論が徹底して吟味されなければならない。全体構想や存続のための方法論も大切だが、個々のセミナーや講義の内容はさらに重要で、その運営法もまた充分論議、研究さるべき課題であろう。

(以下、次号に続く)