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2018/09/17
現代における幸福とは何か

髙瀬 一史

はじめに

今回、私が「幸福とは何か」という漠然としたテーマを設定したのは、ヒルティの言葉にもあるように、それは「人間が最も熱心に求めてやまないもの」だからである。私は、このテーマに対して、まずは通俗的な、現代的な幸福理解を日本の歌やSNSから紐解いていく。そして、次に哲学的な、古典的な幸福の定義を、主に三大幸福論を用いて理解し、最後に私なりの新しい幸福概念を求めていきたい。

 

1.通俗的な幸福理解

(1)事典での幸福

・「一般的に言えば、幸福とはある主体の欲求ないし要求が持続的に満たされた状態を意味する。幸福の追求は人間にとって自然的かつ不可避の欲求であるが、その内実は個々の主体のあり方に依存するため幸福概念の一義的な規定は不可能である。主体の意志および欲求とその満足の種類に応じて幸福把握の仕方も生理学的次元から精神的次元まで実に多様である。」[1] →幸福の一義的な規定は不可能。

 

(2)歌は世につれ、世は歌につれ

・「幸せなら手をたたこう」(坂本九)…何故、幸せなら体のいろんなところを叩くのか?

・「三百六十五歩のマーチ」(水前寺清子)…幸せは自分から掴みにいくものだ。

・「ロード」(THE虎舞竜)…なんでもない当たり前の日々が幸せ。

・「ひとりで生きていければ」(オフコース)…「あゝありふれた倖せに背を向けていく勇気が欲しい」→報われない日々に対する強がり。

・「幸福論」(椎名林檎)…「時の流れと空の色に何も望みはしない。」→苦しんだり、悲しんだりするのは、相手に何かを期待するからだ。そして「いつか」や「どこか」に期待を持つのではなく、今生きていることが幸せなのだ。

・「アメノヒニキク」(RADWINPS)…「次の哀しみは何時何分。それまでにそれまでに。次の幸せは何時何分。それまではそれまでは。」→諦めと期待の繰り返し。

・「ミクロイドS」(ヤングスターズ)…「心をわすれた科学にはしあわせ求める夢がない」→人間の「幸せ」の価値が、精神的なものから物質的なものへと変わっていった。科学主義に対する批判。

 

(3)SNSで見る現代の日本人の幸せ

・インスタグラムで「♯幸せ」と検索して見ると…

デートや恋人との記念写真、スイーツなど食べ物の写真、高級ブランドを買ったときの写真、友達と遊んでいるときの写真、アイドルのコンサートへ行ったときの写真などに「♯幸せ」というキーワードが付随。

 

2.三大幸福論における「幸福」の定義

(1)ヒルティ(1833年〜1909年)の『幸福論』(初出1891年)

・「人生最大の幸福は、神の側近くにいることだ」[2] →幸福に条件があってはならない。

 

(2)アラン(1872年〜1951年)の『幸福論』(初出1925年)

・「幸福を世界の中に、自分自身の外に求めるかぎり、何ひとつ幸福の姿をとっているものはないだろう」[3] →自らが創造した幸福。

 

(3)ラッセル(1863年〜1970年)の『幸福論』(初出1930年)

・「たいていの人の幸福にはいくつかのものが不可欠であるが、それは単純なものだ。すなわち、食と住、健康、愛情、仕事上の成功、そして仲間から尊敬されることである。中には、親になることが絶対不可欠な人もいる。これらのものが欠けている場合は、例外的な人しか幸福になれない」[4] →幸福には条件がある。

 

(4)三大幸福論の比較

相違点

①  時代背景の相違。

②  対象者の相違。

③  幸福に対する条件の有無。

共通点

①  「(よい)仕事をしなさい」→余暇は不幸の原因。

②  「気分からの解放」→自分の精神をコントロールし、自由になる。

 

3.新しい幸福概念を求めて

(1)幸福と「幸せ」

・「幸せ」とは、まぐれ的な、他力的な意味を持つ。

『漢字語源語義辞典』によると、「幸」という字は、手枷をされた状態を描いた図形。「幸」には枠にはめる、枠から逃れるという深層イメージがあり、その枠から逃れようと望む、まぐれ的な僥倖を求めるという意味がある。→外的要因。

・「幸福」とは、「幸」という字に「福」が合わさった熟語であり、「福」は腹のふくれた徳利状の器を表している。「幸」は他力的な意味を持つが、「福」は内面を満たすというイメージから能動的で自分が努力して得るという意味合いを持つ。→内的(個人的)要因。

 

(2)幸せの語源

・元々「しあわせ」と言う言葉はいつごろ作られ、どの様につかわれてきたのか。

英語の「happy」は、『言語学大辞典 第1巻』によると、西暦200年頃から800年頃にかけて北欧諸国で使われていた古ノルド語に「happ」(運、偶然)と言う名詞があり、それが「hap」として英語に取り入れられて形容詞の「happy」と言う言葉ができた。

・日本では明治時代まで「しあわせ」は「めぐり合わせ。運命。なりゆき。機会。」という意味で用いられ、よい場合にも悪い場合にも当てはめられていた。つまり、英語でも日本語でも「しあわせ」とは運やめぐり合わせといった人知を越えたことであり、それが幸運でも不幸でもそれは「しあわせ」であった。

 

(3)日本人的幸せの価値観

・日本語では、「幸せ」と「仕合わせ」という二通りの書き方がある。「仕合わせ」は、仕え合うという意味や、「し合わす」異なる2つが連動し重なるという意味にもなる。

 「試合」という漢字にも「仕合」というもう一つの書き方があり、日本人は他者と自分、つまり人との関わりを意識していたことが分かる。→日本人的幸せは「縁」という意味に近かったのではないか?

 

おわりに

現代における幸福とは、「しあわせ」がなぜか幸運にのみ特化するようになり、何の苦もない安寧状態といったイメージにまで拡張した。さらに現代ではそのイメージがより個別具体的になった。→現代の幸福は我々が勝手に作り出した観念。

今回、私は、古典的な三大幸福論の知見に触れつつ、日本人的幸せに回帰した。そして、観念的ではなく、自分の人生経験も踏まえた上で私なりの幸福を定義するならば、こうである。

「幸福とは厳かなものであり、人智を超えた、人と人のめぐり合わせにおいて生み出される自己の創造的産物」である。

 

[1] 廣松渉 他 (1998年)『岩波 哲学思想事典』岩波書店501頁

[2] ヒルティ著 草間平作訳(2017年)『幸福論』岩波文庫 292頁

[3] アラン著 神谷幹夫訳(2017年)『幸福論』岩波文庫 292頁

[4] ラッセル著 安藤貞雄訳(2016年)『幸福論』岩波文庫 266頁

 

参考文献

  1. ヒルティ著 草間平作訳(2017年)『幸福論』岩波文庫
  2. アラン著 神谷幹夫訳(2017年)『幸福論』岩波文庫
  3. ラッセル著 安藤貞雄訳(2016年)『幸福論』岩波文庫
  4. 勢古浩爾(2017年)『結論で読む幸福論』草思社文庫
  5. 佐伯啓思 (2012年)『反・幸福論』新潮新書
  6. 橘玲 (2017年)『幸福の資本論』ダイヤモンド社
  7. レオ・ボルマンス著 猪口孝監訳(2016年)『世界の学者が語る幸福』西村書店
  8. 廣松渉 他(1998年)『岩波 哲学思想事典』岩波書店
  9. 加納喜光 他(2014年)『漢字語源語義辞典』東京堂出版
  10. 亀井孝 他(1988年)『言語学大辞典(第1巻)』三省堂