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2014/10/11
星と国家と人間

藤原良太

はじめに

 

近年、占星術は娯楽的な大衆文化の一種として認知されているが、これは占星学において非常に大きな問題であると言わざるを得ない。古代より受け継がれてきた伝統的叡智が軽視され、それが大衆的に占星術へ不信感を与えている。これは由々しき問題であり、今こそ占星術の学術性を正しく問う必要がある。そこで今回の国家論というテーマを踏まえ、星と国家と人間が共に歩んできた世界史を解き放ち、占星術が持つ深い叡智の一端に触れてもらいたい。本論は、現代の占星術に対する認識への問題提起であり、占星学の本質に迫るほんの序章である。

 

第1章「占星術の概要」

 

占星術の一般的な定義について、パトリック・カリーは、次のように述べている。「占星術とは、地上の出来事やそこに住む人々の人生を、天体の運行と結びつけて考える為に生み出された思想である。 」つまり、太陽と月を含む惑星と地上に生きる人間の間に何らかの相関関係が存在し、社会や人間の在り方を経験的に結び付けて占う技術のことを“占星術”という。主に西洋占星術、東洋占星術、インド占星術などに区分することができ、発祥は古代バビロニアの時代 と考えられている。

 

第2章「世界史と占星術」

 

占星術は現在では大衆文化の一部として認識されているが、今も科学と宗教からの嘲笑と敵意の対象に晒されていることに変わりはない。けれども今日に至るまでの長い歴史を経て、哲学的にも神学的にも幾度となく議論されてきた。その西洋占星術の長い歴史を追っていくことにする。

 

第2章1節「起源」

 

占星術の起源は、古代バビロニア で行われた大規模な天体観測であるとされている 。西洋占星術に関する最初の記録は、紀元前2000年から500年にかけての間に、2つの原則が構築されたという記録が残っている。紀元前9世紀頃のバビロニアで太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星の7つの惑星を神々としてあがめ、生贄を捧げたり、その意思を伺おうとした形跡 が見られる。バビロニア占星術では、世界が観察的・経験則的証拠ではなく、抽象的・理論的確率によって分析されると考えられていた。
現在に残る占星術の元となったと考えられるのは「プロト占星術」である。はっきりとした起源は不明だが、メソポタミアの南部にその起源があったと考えられている。紀元前2000年よりも前に星の神々の意思を伺おうとしたオーメン による初歩的な占いが行われていたようである。オーメンは、主に過去の出来事の記録 に基づいた経験的な占いと捉えられるものだった。それらの記録は粘土板に記され、次世代に伝える知識として保存されていった。このように占星術のプロトタイプとなる星を基にした占いは、様々な自然現象によるオーメンの一部と記録の蓄積の過程の中で誕生した 。このオーメンに関する記述と、暦を作成するうえで必要だった当時の天文学的知識が結び付き、後の占星術の母体となるものが誕生したと考えられる。

 

第2章2節「形成期と衰退」

 

バビロニアの天文学は、ギリシャ文明と後のローマ文明に大きな影響を与える。その影響は、千数百年にわたりヨーロッパの宇宙観を支配することになる。2世紀頃、大天文学者のプトレマイオス が地球中心説 を唱える。同時にプトレマイオスが残した占星術書『テトラビブロス』は、占星術の礎を築く役割を果たした。しかし6世紀の西ローマ帝国でギリシャに関する知識が急速に低下してしまい、占星術の実践は一気に急落する。その原因は、イエス・キリストとその神のみを認めるとする一神教のキリスト教が、西ヨーロッパを支配するようになり多神教的な思想である占星術とその他の学問 を排除する動きがあったからである。キリスト教思想において、新しい宇宙、世界の主はイエスであり、星を媒体としなくとも神と直接関係性を持てる存在と考えられたため、「宇宙と個人は直接関わることができる」という占星術の思想と「天界との繋がりは教会を通じてのみ構築される」と考えるキリスト教思想が大きく対立した。これにより星界や天界の神学は、キリスト教に吸収されることになり、学術的な意味の占星術は急激な衰退 を余儀なくされる。
 暗黒の中世 により衰退を余儀なくされた占星術を含め、天文学、化学、錬金術や医学などの技術は、イスラム世界へと逃れることになる。キリスト教徒であったボエティウスの『哲学の慰め』が中世ヨーロッパに広がったことも、占星術の歴史に大きな影響を与えた。摂理である運命を星の動きによって分析し、予測する可能性を示唆したためである。8世紀後半、イスラム世界での占星術は、貴重な哲学的探究であり、神学の対象として受け入れられる。この背景には、遥か昔に書かれた占星術の文献に対する姿勢に根本的な変化があり、キリスト教信仰の脅威とならないと考えられたためである 。ただし占星術の文献が再評価されるには、多くの時間を必要とした 。800年から1000の間にホロスコープの使用と知的鍛錬としての占星術が再び注目され、哲学者たちは占星術によって、何がなされるのかを真剣に議論するようになる。

 

第2章3節「復興と崩壊」

 

キリスト教福音主義者が占星術の批判を始めて約1000年後、ラテン語圏の西ローマの人々の中には、占星術の「深い知識の源泉となる可能性」に惹かれる者も現れ始める。こうした知識の追求 は、当時圧倒的だった世界観を大きく変えることになり、カトリック世界とギリシャ哲学の根源を繋ぎなおした。12世紀に占星術は、プラトン哲学懐疑主義と悪魔的だとする教会の2つの思想と対立することになるが、13世にかけてアリストテレスの新しい理論 が学術的関心を集め、その過程で占星術の重要性 は極めて高くなり、西洋カトリック世界の知的革命により錬金術と占星術の関心 が復活することになった。そのなかでもフィチーノ は、イタリア・ルネサンスの宇宙論を提唱した理論家であり、その業績はルネサンス芸術に極めて重大な影響を与えている。
 占星術は必ずしも非キリスト的とみなされることはなくなったが、それでも批判がなかったわけではない 。やがて古い宇宙観は崩壊することになる。その要因にケプラー が、真円運動理論を否定 したことが大きい。その結果、17世紀末までに中世の自然の影響力理論において、占星術は論理的根拠を失うことになる。占星術は、学術的議論の場から追放されることになり、みずからの立ち位置を模索することになるのだが、物理学と天文学の分野において、ニュートン が「万有引力の法則」 を発見したことをきっかけに、1720年代になるとホロスコープが作られることは、ほぼなくなってしまった。占星術に対する啓蒙主義 とキリスト教からの批判は、ほぼ無くなっていた。それまでに占星術が、ほとんど消滅したような状況に陥ったからである。

第2章4節「再生と現代」

17世紀の終わりに衰退した占星術は、大衆的に求められる人たちの間でわずかながらに生き残り、19世紀後半のイギリスで復興を果たす。その背景には、啓蒙主義への反動や東洋世界への憧れなど様々な要因が考えられるが、やはり17世紀のイギリスで、占星術的予言が当時の社会に少なからず影響を与えていたことも大きい。特に17世紀に活躍したのは、ロンドン大火災を予言したウィリアム・リリー である。
19世紀から20世紀初頭にかけて、近代の占星術の新たな基礎を築き上げ、普及させるに大きく貢献したのはアラン・レオ である。占星術、神智学などの狭い世界で活動し、近代占星術における誕生星座や太陽宮など現代の生活に欠かせない概念に発展させることに非常に貢献した。そして20世紀にカール・ユング が占星術に関心を持ち、深層心理と占星術を結び付けたこれまでの「伝統的占星術」 と異なる「心理占星術」を誕生させる。1970年代に入り、占星術はかつての未来を予言するものから、自己探求、人間心理の方法へと再定義され、複雑な技法もかつてのものよりシンプルに親しみやすいものへと変わってきた。占星術はこうして、二度の衰退と再生を果たし現代に生き残ったのである。

 

参考文献

 

1) リズ・グリーン[著]、鏡リュウジ、岡本翔子[訳](2013年)『占星学』青土社
2) キャロル・S・ピアソン[著]、鏡リュウジ[監訳]、鈴木彩織[訳](2013年)『英雄の旅』実務教育出版
3) ニコラス・キャンピオン[著]、鏡リュウジ[監訳]、宇佐和通、水野友美子[訳](2012年)『世界史と西洋占星術』柏書房
4) ロビン・マクノートン[著]、鏡リュウジ[監訳]、高田有現[訳](2005年)『星が教える恋愛事典』ヴィレッジブックス
5) テレサ・ムーリー[著]、岡本翔子[監訳](2005年)『月の大事典』ヴィレッジブックス
6) チャールズ・ハーヴェイ、スージー・ハーヴェイ[共著]、鏡リュウジ[監訳](2003年)『月と太陽でわかる性格事典』ヴィレッジブックス
7) 鏡リュウジ、石井ゆかり(2009年)『星占いのしくみ 運勢の「いい」「悪い」はどうやって決まるのか?』平凡社
8) 鏡リュウジ(2004年)『星座でわかる運命事典』ヴィレッジブックス
9) 鏡リュウジ(2006年)『ホロスコープが自分で読める 星のワークブック』講談社
10) 鏡リュウジ(2007年)『はじめての占星術』集英社
11) 鏡リュウジ(2008年)『鏡リュウジ 誕生日バイブル』ヴィレッジブックス
12) 鏡リュウジ(2009年)『あなたの星座と運命』説話社
13) 鏡リュウジ(2011年)『月占い』武田ランダムハウスジャパン
14) 鏡リュウジ(2013年)『星のワークブック【相性編】』講談社
15) 鏡リュウジ(2013年)『鏡リュウジの占い大事典』説話社
16) 石井ゆかり(2007年)『12星座』WAVE出版
17) 石井ゆかり(2009年)『愛する人に。』幻冬舎
18) 石井ゆかり(2011年)『星読み+』幻冬舎
19) 石井ゆかり(2012年)『星をさがす』WAVE出版
20) 石井ゆかり(2013年)『星の交差点』イースト・プレス
21) 石井ゆかり(2014年)『愛する力。』幻冬舎
22) 西條のゆり(2011年)『いちばんやさしい占星術』成美堂出版
23) 神谷充彦(2009年)『詳解 月の正統西洋占星術』学研パブリッシング
24) 石川源晃(1996年)『辞典 占星学入門 ―星の言葉を聞こう 新しい占星学時代での用語解説―』平河出版社
25) 石井ゆかり(2013年)『石井ゆかりの星占い教室のノート』実業之日本社
26) 石井ゆかり(2013年)『月のとびら』阪急コミュニケーションズ
27) 松村潔(2012年)『月星座 占星術入門 自分の月星座を知って人生を変える本』技術評論社
28) 石井ゆかり(2014年)『ひかりの暦』小学館
29) マリィ・プリマヴェラ(2013年)『月星座と太陽星座でわかる性格と相性』東邦出版

※ 本論は筆者が執筆した論文「神秘の占星術」より、一部抜粋したものである。

 

1 )この懐の深い定義は、占星術とはホロスコープの作成とその解釈だけでなく、天体の象徴性や天体的周期を通じての宇宙に対する問いかけであり、暦の計算や天文考古学(天体の配置や方向、そして象徴性を宿した建造物の研究)、天体信仰、魔術的儀式やその他の占術、また占星術的象徴や天文学的周期を用いる情報の探求といった要素まで網羅している。(引用:『世界史と西洋占星術』頁10)
2 )多くの近代人が宇宙を秩序や意味、かけがえのないものの源とみなしているが、それは間違いなく、先史から現代にまで続いてきた考え方なのだ。(引用:『世界史と西洋占星術』頁10)
3 )現在のイラク南部にあたる地方に栄えた古代文明の地のこと。
4 )『星占いのしくみ』のなかで石井ゆかり氏は、鏡リュウジ先生に「星占いはいつ生まれたのでしょうか?」と言う質問をしている。その問いに対して鏡先生は、このように答えた。「占星術の歴史はおそらく、人類が知性を持ち始めた時にまでさかのぼると思います。今から二万年ほど前に彫られたフランスの「ローセルのヴィーナス」は、片手に13本の線が彫られた三日月の様なものを持ち、強調された乳房やお腹から、生命を生み出す女性の神秘をかたどったものと考えられます。私たちのはるかな祖先は、満ちて欠ける月と女性の周期が合致していることに気付き、月の満ち欠けに生と死の周期を重ねあわせていたはずです。そう、この時代から占星術の萌芽が見られるのです。」(参考『はじめての占星術』頁130要約)13という数字は一年の間に月が公転する回数のこと、月の満ち欠けの周期が約29.5日で女性の生理周期と同じ、古代の人々は妊娠した女性のお腹が膨らみ出産してしぼむことを月の満ち欠けのイメージと重ね、豊穣と女性の生産性に意味を関連付けて捉えたと考えられる。養育、母なる者、女性、豊穣などは占星術において月に象徴されるものであり、「ローセスのヴィーナス」にはそうした占星術の象徴がいくつも盛り込まれていると考えられる。(参考『星占いのしくみ』要約)
5 )黄道を分割したサインにより惑星を位置づけることで、それを天の予兆として占いに取り入れるようになったという説がある。
6 )オーメン:予兆のこと。当時の記録には動物の振る舞いや自然、天に関する現象(虹や雲、日の出や日没の状態など)がオーメンとして見られていたことがわかっている。
7 )過去の日食の日に洪水が発生したという事実から、日食は洪水のオーメンであるという風に考えられていた。そのほかには、月の暈は王冠に似ていることから、長い治世を表す善いオーメンであったという。月の暈とは、太陽や月に見られる光の輪のことである。
8 )このように占星術の起源となった手法と、現代の占星術の技法には大きな隔たりがある。この当時のものは、オカルト的でまさに呪術とも呼べるようなものだった。
9 )クラディオス・プトレマイオス:エジプトのアレクサンドリアで活躍した天文学者。
10 )地球中心説:地球を中心に太陽や月を含む惑星(水星、金星、火星、木星、土星)が、それぞれの周期で公転しているという説。
11 )プラトンなどの古代哲学者についても、僅かなラテン語でしか知られなくなる。
12 )占星術の衰退は、キリスト教の悪魔的だとする批判と糾弾に加え、夜空の星が救済の道筋を示す役割がキリスト教思想によって否定されたこと、同時に当時の占星術が異教的であったことも挙げられる。この論争は占星術哲学と実践の1500年に渡る歴史のなかで起こり、未だに終結していない。
13 )暗黒の中世:西ヨーロッパで文化の発展が一時的に停滞した時代をこう呼ぶ。異民族の流入や教会が知識を独占したことが原因と言われている。
14 )現存する文献は9世紀のものであるが、それも5世紀から8世紀にかけて占星術が衰退せずに大衆的に生き残っていたからである。
15 )この間、占星術に関する哲学的論議とホロスコープの作成は廃れたままだったが、大衆的には高度な識字力や複雑な数学的要素を必要としないタイプの占星術が盛んにおこなわれていたようである。
16 )ピエール・アベラールの「神が未来を知ることは、占星術師が個人の行動を見越せることを示唆するのか」という議論は、占星術という特殊な技能への需要があった事実を示唆していると言える。
17 ) 新プラトン主義思想を盛り込んだ物質世界と宇宙がシンパシーを媒体として相互に作用する世界観。
18 )哲学者はアリストテレスが説く新たに統合された宇宙論において、占星術は人と永遠なるものの関係性を管理する実践的な方法であると捉えた。
19 )判断占星術だけは例外。いかなる問いもホロスコープで導く姿勢だけは受け入れられなかった。
20 )マルシリオ・フィチーノ:ダンテやペトラルカの運動論について天文学の本を書く。占星術の普及者であると同時に糾弾している。この点についてニコラス・キャンピオンは、「自分が実践するものを糾弾する態度は矛盾という他ならない」と述べている。(『世界史と西洋占星術』頁160にて)
21 )1494年の7月、フィチーノの弟子であるピコ・デラ・ミランドラ著の『占星術反駁』では、「占星術は哲学的にも、技術的にも欠陥があり、経験的証拠により否定された」と激しく非難している。また同年に占星術師のシモン・デ・ファレスが、出生チャートと魔術図を含む占いを目的とした占星術書を持っていたことが原因でパリ大学神学部から糾弾された。保守的聖職者は、判断占星術を行う人間が個人で運命を語ることを嫌ったためである。
22 )ケプラー・ヨハネス:ケプラーの法則を発見した近代科学の誕生に貢献した偉人の一人。
23 )天体が天使や星々のインテリジェンスと関わりなく自由に運動していることを証明してしまった。
24 )アイザック・ニュートン:イングランドの自然哲学者であり数学者。ニュートン力学を確立し、近代物理学の祖とよばれる。
25 )万有引力の法則:地上において質点(物体)が地球に引き寄せられるだけではなく、この宇宙においてはどこでも全ての質点(物体)は互いに引き寄せる作用を及ぼし合っている」とする考え方。Wikipedia「万有引力」
26 )啓蒙主義:人間の持つ理性を信頼し、その理性の力で迷信を廃してこの世界をつらぬく法則を発見していこうとする立場。『はじめての占星術』頁137
27 )ウィリアム・リリー:イギリスの占星術家。1666年のロンドンを焼きつくした大火災を予言したことで有名。彼の著書『クリスチャン・アストロロジー』は、ホラリー占星術の教科書といえる。ホラリー占星術は、占いたいと思った瞬間のホロスコープを基に具体的な質問に答える占星術の技法の一種。
28 )アラン・レオ:本名はフレデリック・アレン。イギリスの占星術家であり近代の占星術を復興し、現代のホロスコープの解読法を提唱した。
29 )カール・グスタフ・ユング:スイスの精神科医であり心理学者。精神分析の創始者フロイトの弟子だったが、考え方の不一致で離反し独立する。集合的無意識などの概念を構築し、現代のユング心理学を構築した。占星術の研究をしていたことでも知られる。
30 )伝統占星術は、まさに「当る・当らない」の占いです。白か黒かハッキリ判断しなければならないこのような占いは、心理占星術の世界とはほとんど相容れません。『星占いのしくみ』頁151-152