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2013/10/14
映画で読み解く英米ソフト・パワー(改訂版)

溝浦健児

ソフト・パワーとは、ハーバード大学ケネディースクール教授、ジョセフ・S・ナイが提唱した概念で、軍事力に代表される、強制力を伴うハード・パワーの対義語であり、国境を越え個々人の思想や価値観に影響を与えうる潜在的能力である。
古くは、古代ローマ帝国にも見られるこの概念は、その源泉たる文化、政治的価値観、外交政策という三つの要素で構成されている。
2001年9月11日のアメリカ中枢同時多発テロを経起とした、テロとの戦いに象徴されるアメリカ一極支配の終焉による、世界の多極化を迎えた昨今においても、アメリカは国際社会における一定のプレゼンスを保持しつづけている。
それらは、極めて高い科学技術力及び経済力に裏打ちされた圧倒的軍事力、基軸通貨ドルによる世界からの富の還流、事実上の世界共通語たる英語などの要素に負う面も大きいとは言え、“普遍的価値を持つ魅力的なアメリカ文化”がその一端を担っているのもまた事実である。
一つの例として、ヨーロッパの民主化において、マーシャル・プランとNATOが、経済力と軍事力の面で決定的な手段になったが、大衆文化も寄与したと評されている。
ハリウッド映画やマクドナルドの存在が戦争を抑止する事はないが、それらが世界各地で消費されている様は、アメリカナイゼ―ションを象徴している。
筆者は、「映画を見るとはどういう事か?」という問いに、“娯楽”だと答え、映画の背後に潜むソフト・パワーやプロパガンダといった政治的要素の介在を考察しつつも、まずは純粋に映画観賞という行為そのものを楽しむ立場をとる。
いかにアメリカ映画(特にハリウッド映画)がプロパガンダに充ち溢れていようとも、我々、民主主義国家の主権者は、“政治権力が作らせた反日・反米映画を見せられている北朝鮮の人々”などとは違い、自ら選ぶ権利がある。
映画観賞を楽しみつつ、その背後に見え隠れするソフト・パワー(による影響力行使)と(その最たる例である)プロパガンダを読み解き、知的向上や価値観の取捨選択に繋げていくのが、筆者が目指す道である。
筆者が大好きなジュラシック・パーク・シリーズを、娯楽以上の視点で見るなら、古生物学界という一般大衆には縁遠い世界で巻き起こっていた、“恐竜ルネッサンス”を、娯楽作品という形で世に知らしめた事があげられる。
当時最先端のアニマトロ二クスやCGを駆使した斬新な映像に感動した事に加え、学術的研究成果を上手く商業化したハリウッドに、脱帽したのを憶えている。
そして、筆者が大学で興味を持ち、(他学科履修として)学んでいたのは、ロシア文化でもイスラーム文化でもない、英米文化だった。
ハリウッドは常に、戦争アクションなど、劇中で悪役として描くべき“敵”‐アメリカ先住民からファシズム、共産主義、そしてイスラーム原理主義‐を探し求めてきた。
グローバル多国籍企業やNGOが国境を越えて活動し、環境問題や貧困問題が全地球規模化する今日の社会では忘れられがちな事であるが、第二次世界大戦とその後の体制に着目して見るなら、日本国は敗戦国であり、アメリカ合衆国は戦勝国である。
1945年9月2日、高速戦艦ミズーリの艦上で行われた降伏文書調印式は、大日本帝国敗戦を象徴する出来事であり、GHQによる占領統治の幕開けであった。
占領軍は、征服者ではなく解放者として振る舞う事を意図し、非軍事化及び民主化政策を推し進め、さらに国家神道の解体と天皇陛下の象徴化を行った。
2013年公開の映画、『終戦のエンペラー』は、ダグラス・マッカーサーの部下、ボナー・フェラーズの視点で占領下の日本を描いており、我々が近現代史を知る源泉たる書籍・文献の記述を、映像として見せてくれた事は意義深い。
日米戦を扱ったアメリカ映画にしては、露骨なプロパガンダ的表現もなく、一見“まとも”だったが、この作品を見れば、数多くの人々がこう思うであろう。
“1人の親日家アメリカ人を通して、民主主義国家アメリカが、日本の古き良き伝統的価値観を復古させ、新たなる繁栄の礎を築く手助けをした。”と。
これこそが重要な点であり、“ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム”‐日本人に侵略戦争の罪悪感を植え付ける事により日本弱体化を図ったGHQの政策であり、その後遺症は、未だに出来ない自主憲法の制定や自虐史観、土下座外交などに如実に表れている‐という落とし穴にはまり、盲目的親米・対米追従の思考に陥ってはならない。
ここまで、ハリウッドに代表されるアメリカ映画について述べてきたが、最後に日本映画及び日本のソフト・パワーが持つ可能性で締めくくりたい。
我が国には、歌舞伎や能、茶道といった伝統的文化が存在し、シェイクスピア作品の説話を、巧く和のテイストに昇華させた映画監督、黒澤明もいる。
さらには、アニメーションやゲーム、ファッションに代表されるサブカルチャーは世界中で人気があり、欧米諸国すら受信する立場となっている。
近年、ハリウッド映画は、製作費の高騰やCG氾濫と表裏一体とも言うべき“ネタギレ”に苦しみ、社会派ドキュメンタリー意外では、かつてのような超大作が生まれにくい現状にあり、日本のサブカルチャーの存在感が増している。
日本の伝統文化である神道や歌舞伎などを、サブカルチャーがどのように取り入れていくのかは暗中模索の途上だが、筆者が注目しているのは、最先端の科学技術とそれがもたらす社会の変革、諸問題を描いて注目を浴びた、土郎正郎の漫画『攻殻機動隊』等、日本
の漫画やアニメーション作品が持つ、縱深性とでも言うべき層の厚さである。
ネイション・ステイツ世界がフラット化し、国民国家以外のアクタ―が台頭する現代においては、自国及び他国のソフト・パワーの特性を熟知する、“個々人”の存在が鍵を握る。