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活動/実績

  • 2013/08/09

    序章   ※京都大学大学院文学研究科に博士論文として提出した「ティリッヒの芸術神学」の改題「芸術とは何か」(芸術神学序説)に続いて、芸術についてより具体的に、私的に論述しようとするのが本論の趣旨である。   芸術については各芸術家が、自身の創作活動の援護射撃として、あるいはその解釈として、それぞれ多彩な芸術論を展開している。それらを整理統合し、芸術に関する共通の見解や解...
  • 2013/08/09

    日本でもニーチェに関する研究や論考が盛んだが、ニーチェが正確に読み込まれているとは思われない。ニーチェは誤解されている、と主張する『ニーチェの警鐘』(講談社新書)の著者適菜収もまたニーチェを誤解しているのではないか。第一、父親が牧師で、最初は神学を学んだニーチェの痙攣的反発の書『アンチ・クリスト』に対し、少なくともここに書かれた内容に対し、体質的共感を得るには、かなりどっぷりとキリスト教に浸りきっ...
  • 2013/08/09

    『豊饒の海』とは、三島由紀夫の遺作である。三島は最終巻『天人五衰』を書き終えた後、自衛隊に乗り込み、自決した。私の長らくの疑問はなぜ三島が壮絶な割腹自殺を遂げたのかということだった。『豊饒の海』はモチーフとして、唯識の教説を取り入れている。唯識とは、瑜加行派と呼ばれる宗派の教説で、「眼識」・「耳識」・「鼻識」・「舌識」・「身識」・「意識」・「末那識」・「阿頼耶識」の八識説を唱え、この世のあらゆるも...
  • 2013/08/09

    鈴木 雄太

    私たちは日々死について様々な形で見聞きするが、大半の場合それは聞き流されるにとどまる。死はどこまでいっても「他人の死」に過ぎず、まだ当分は自分の番ではないだろうとこころのどこかで考えている私たちはしかし、死の事実から目をそむけているだけなのではないか。こうした死から目をそむけて日常の中に埋没した生き方をハイデッガーは「非本来的」と呼んだ。私の友人の死はあくまで私の友人の死であり、どこまでいっても私...
  • 2013/08/09

    二人の年齢を足すと145歳になる私達夫婦は、今、日本海を見下ろす丘の上の鉄骨の建物の中で、避難生活を送っています。ここへ来る前の私達の住いは、小鳥の声と多くの花々に囲まれた、緑豊かなフクシマの里山にありました。直ぐ傍を流れる渓流には、岩魚が住み、ホタルが飛び交い、静かで優しい人々の、善良でつつましい日常が、平和な時を刻んでいました。それが、あの1911年3月11日の未曾有の大災害に翻弄されてしまっ...
  • 2013/08/09

    「死後の世界」を語ることは、戦後の学校教育では宗教教育と共に「触れてはいけないもの」として忌避されて来た。しかし、いじめや自殺が話題となる今日においてこそ、語られるべきテーマではないのか、というのが本発表の趣旨である。 「死後の世界」については、人は死んだ後も肉体は朽ちるが魂は残っているとする霊魂不滅説と、魂を問題とするのではなく、現生の生き方・あり方が死後何らかの形で影響を及ぼすという機能説に...